政治不信をもたらしているもの、それは不条理と理不尽さ

政治に対する不信がますます高まりを見せ止まるところがない。不条理とは法に逸脱していること、理不尽とは人間としての営み行為に反していることであり、いずれにも共通しているのは道理にかなっていないことである。不信行為は本人はもちろんのことそれを処分する側即ち組織も重大な責任を負わなければならない。それを政治の力で弱めてしまうというとんでもないことが政治常識となってしまっている。政治の世界ではこう言われているそうだ。正義は子供のすること、大人は不条理・理不尽の泥を持たなければならないと。真の政治家は国会議員の中で数%しかいないように思う。主だった実例を上げればあの小渕優子甘利明問題での不起訴処理、森喜朗の他人の金を湯水のように浪費する偽ボランティア会長、さらに国民の怒りを頂点に達しせしめたのは安倍総理である。野田総理との約束であった解散を引き換えに議員定数大幅削減などをどこ吹く風と受け流し、また消費税引き上げを固く公言したにもかかわらずそれも果たさず、さらに極め付きは参議院選挙の公約に憲法改正を選挙不利と思ったか全く争点に掲げなかったこと、そしてお決まりのように政権を取れば公約集のすべてが信任を得たと公言すると言ったこれが日本の総理の言動だろうか。十分な国会での審議を経ずに成立させてしまう独善なやり方に憤懣この上なくこのやり場はどこへもっていったらよいのだろうか。指導力ゼロの総理は我々国民が選んだわけではない。不条理と理不尽の議員が選んだのだ。こうして選ばれた者は道理をわきまえないのは当然のことと言わざるを得ない。自称の空っぽのアベノミックスはもうすでに破綻してしまっている。いつまでも道半ばと言い続けるのか。総理大臣職はこの反省を踏まえ国民が直接選挙で選択する統治機構改革を是非実現することが喫緊の取り組みであり国民運動として盛り上げよう。安倍マリオに高額な税金を使う必要はなかった。安倍氏も公私混同の有無を明らかにせよ。