いじめの隠蔽と教育委員会のお粗末さ
次代を担う子供達がいじめに遭っている事例が各地で頻発している。そうした現状に教育委員会は直視せずただこと無かれ主義に徹し子供たちの教育を放棄してただ可愛いのは自分だけの保身に奔る。教師の使命とは何かを忘れてしまっている悲しい現実だ。そこで問題なのはいじめとの因果関係が明らかでないと記者会見を行うのは決まって教育長であり教育委員会を代表する委員長は顔を見せない。最高責任者である者がコメントを出すのが当たり前だろう。第三者委員会に調査を委ねる方式を採っているがこんな無駄な調査をする必要はなく、民間から委嘱された教育委員が既に存在しているのでここで調査できるのである。この委員には頻度の割に過大な報酬を税から支給しているにもかかわらず月数回の会議に出席するだけであり現状は名誉職である。この時こそ実のある仕事をしてもらいたい。そしてもう一つ釈然とせず疑問に思うことは加害者側の生徒と保護者が全く報道されないことだ。思いつめて自殺に追いやっておきながら生徒の対処と保護者ぐらいは謝罪会見をさせるべきではないだろうか。事が死に至らしめている重大事犯でもあるからだ。なぜこんなことが政治行政そして法曹界が黙っているのだろうか。何かその裏があると勘ぐらざるを得ない。
東京新聞の望月記者の史実を下に映画化された「新聞記者」に注目
いよいよ28日から全国の映画館で上映される。是非映画館に足を運びたいし悪しき安倍政治の裏側を知る機会となる。選挙が直前に控えていることから判断するのによい場を与えてもらったと思う。監督や出演俳優さんの勇気ある行動に頭が下がる思いである。もしかするといつものように安倍官邸から強烈な圧力が働くことが予測される。安倍教祖様に刃向かえばどうなるか覚悟しておけとなることが十分予測されるが。仮に上映中止となればいよいよ安倍自由教がのさばることになる。国民はしっかりとこの動きを見定めておくべきである。いずれにしても自民は脅威と感じているだろう。どのような内容なのか足を運んでみよう。
国家の品格を蝕む安倍自民党
6年間の安倍政権を振り返ると欺瞞と醜態の積み重ねで日本国がコツコツと身につけてきた美徳を新自由主義というカブレタ思想で悉く無きものにしてきた。歴史を振り返ると過っては日本人は勤勉で丁寧で親切で真面目で嘘を言わず相手を騙さず自分のことの如く相手をいたわる、こんな気質が他国から称賛され信頼を得てきた。こうしたことが国家の品格に繋がっていった。それがどうだろう、一瞬にしてこれが葬り去られようとしている。安倍政権の下ではすべて自己欲のためすべてのモラルが崩れ去っている。新自由主義の名の下自己中心主義と金さえ儲かればの歪な社会が形成されてきている。安倍政権の一つ一つの疑惑を見るとうなずけるものばかり。アメリカナイズから日本固有の利点を世界に打ち立てることがこの国の生きて行く唯一の道であると私は確信している。国家の品格を取り戻そう。
愚か者、恥を知れと罵った三原じゅん子の姿に自民党の怖さを覚えた
自公政権の恐怖政治が迫っている恐ろしさを感じた。そのきっかけとなったのは今回の三原じゅん子の発言である。常識を備えた人間であればこのような汚い言葉は出さないが三原個人の資質のみでなく自民党全ての意見を代表した場での言動であるから許されるものではない。その恐ろしさはオーム真理教のような安倍を教祖として異論をはさむものは排除し国民を洗脳して教祖に従えさせようとしていると思えた。この教祖に反するものは徹底的に痛めつけ、非人間として烙印を押してしまう。この社会の人間としての扱いは安倍教祖の信者になることを求めているのである。ここには人権や民主主義などは何の価値も必要もないのである。従来からのモラルを欠いた行為も権力の私物化によってやりたい放題の非行を重ねていることからも明らかだ。安倍という史上最低の者を選んだ山口県下関市の有権者の責任は甚大であり恥を自覚すべきだ。