五輪は誰のためなのか

東京五輪がいよいよ来年に近づいてきた。誘致活動の成果で東京に決まり熱狂的な喜びに包まれあの有名なお・も・て・な・しの言葉が生まれた。振り返って考えてみると五輪の趣旨はアマチュア精神に基づいて世界の平和を願う高邁な理念であったと思う。また政治と分離して独立性を確保することであったと思う。それがいつの間にか職業プロが入り込み、政治が介入して莫大な公金が投入されることになってしまった。その結果今ではそこのけそこのけ五輪が通るとばかりにやりたい放題に姿を変えてしまった。コンパクト五輪と銘打っておきながら施設整備と運営経費にバカでかい経費の殆どを我々の税金を投入することに何の違和感も感じなくなってしまっている。その金額は膨れに膨らんで何兆円というではないか。だから安倍晋三が前回の開催地にマリオの姿をして何億円も使って宣伝すると言う破天荒までするのである。五輪をやることに文句を言わせない驕りの性格となってしまった。だから世界各国から開催の申し込みが無くなりつつあるが証明している。多額な経費を使う金食い虫であればもっと国民の福祉や教育に振り向けるべきだとする理由とされている。賢明な選択であろう。それらを踏まえながらなぜ開催するのだろうかというと政治屋と商売人とが結託してウインウインの利権あさりで私腹を肥やす目的でしかない。国民を鼓舞し国勢を高めると言う名目はその名の通りであった。その張本人が正に安倍と森であり、この二人が税金を食い漁っているのである。竹田恒和会長が贈賄疑惑で上がっているのは元はと言えば安倍と森が後ろで暗躍していることは誰でも分かる。全部ばらしてしまえば良いものなのに。暗黒の虫がウヨウヨしている五輪。こんな祭典に熱気が出ないのは当然であろう。一国民がコソコソと言っても仕方がないがこうなれば東京で勝手にやればよいとの気持ちだ。日本はもう成熟社会であり、五輪や万博で浮かれている時ではない。成熟度を高める道はもっとほかにあるはずだ。震災復興五輪とは呆れてものが言えないし五輪が復興を妨げているではないか。原点の精神に返るべきである。